
「山和食品株式会社」の源流を訪ねると、福島県会津地方の深い緑と、清らかな水の流れにたどりつきます。
現在、東京から会津若松市や喜多方市のある会津盆地へゆくには、郡山から西に折れ、磐越西線と並んだ越後街道を、猪苗代湖の北岸に沿って進むのが、もっとも普通の行き方ですが、古くは日光街道の延長を山王峠で越え、「塔のへつり」の奇勝や会津本郷宿などの古い宿場を経てゆく会津西街道の行き来が盛んでした。
これは会津盆地で生産される米やそのほかの農産物を江戸に運ぶ最短の道でした。
この道を北に進むと、芦の牧温泉を過ぎたあたりから、遥か彼方に、山あいから会津若松城の天守閣が望めます。「山和」という言葉には、山と仲良くしてゆくという意味が込められています。山に親しみながら、そのはざまにある盆地で稲を育て、麦や大豆から味噌や醤油を作ってゆく。これがこの地方の暮らしです。
当社の歴史は、1834年(天保5年)初代満田(みつた)善内という人が、藩の許しを得て、満田屋という屋号で、会津若松の現在地で塩の販売と味噌の醸造と小売を行ったのが始まりです。
明治維新後、1871年(明治4年)に、新たに新政府の許可を得て、本格的な味噌醸造にとりかかり、大正時代には醤油醸造、昭和に入ると漬物の製造、ごま油・菜種油の搾油を始め、1963年(昭和38年)「会津天宝醸造株式会社」を設立しました。
会津天宝の味噌は全国の百貨店や大型店舗で販売され、生活協同組合などでも取扱いされているので、皆様にもお馴染みではないでしょうか。
満田屋は現在も創業の場所で、味噌田楽(でんがく)を提供し、会津の物産品も売っているので、会津天宝醸造株式会社が満田屋をその販売店として作ったと思われがちですが、正しくは、満田屋が会津天宝醸造を作ったのです。
もちろん、現在は何代も経て、社業は別々に行われていますが、起こりはそうなっています。
その後、第2次大戦後ですが、遠く先祖を甲斐の武田信玄の家臣馬場美濃守信春に仰ぐ 馬塲氏の血がここに加わり、新たな発展を見ました。
現在、会津若松市内で、宿泊のほか「めっぱめし」や山菜・鮎などの会津の産物を豊富に盛り合わせた郷土料理で、宿泊客をもてなしている「料理旅館田事」を経営しているのも、当社の創業者の一族です。
さらに「元祖 輪箱飯(わっぱめし)」の名で、鮭・うに・いくら・かに・きのこ・山菜などを白飯の上に載せ、「曲げわっぱ」で食する料理を提供する「割烹・会津料理 田季野」 を経営するのもおなじ当社の一族です。
これらのお店は、たびたびTVの観光番組でも紹介されており、皇族ほか有名人も多数訪れているので、ご存知の方も多いでしょう。「満田屋」「会津天宝醸造株式会社」のほかに、この2店のホームページにもリンクさせていただいておりますので、ぜひ御覧ください。 さらに会津観光の節はお立ち寄りくださいますよう、お願い申上げます。
さて、この2店についてご着目いただきたいのは、屋号「田事」「田季野」は、当社の屋号「田吾作」「田母神」とともに、屋号のかしらに「田」の字を頂いていることです。
これは申し合わせたわけではなく、偶然のことです。そして、元祖はもちろん「満田屋」の「田」ですが ここに共通した「田」へのこだわりがあると思います。
そして、それはわたくしたちの「食」のDNAなのです。 DNA(Deoxyribonucleic acid)とはわれわれの遺伝情報を担う物質で、われわれがそれを意識することなく常に持っている、先祖からの情報です。
田で思い浮かべるのは、まず「味噌田楽」というおでんについている「田楽」という名称です。「味噌田楽」とは白いこんにゃくが串に刺され、ひらひらと舞っている姿が、田楽の舞に似ているところからつけられたといわれていますが、田楽とは、もともとは田植などの農耕の行事、これはむかしは多くの人手が要るので。村全体が集まって行いました。それが終った後で、神様に感謝し、また集まった人に、ご苦労さんという意味で、舞い踊る儀式でした。当社の掛紙にある四季の歌のなかの「さなぶり(早苗振り)」もおなじ意味です。この「田楽」がやがて「猿楽」・「申楽」となり、やがて「能楽」となりました。日本の芸能の源流です。それは日本の農耕文化と深く関わってきました。
云って見れば、「田」は、わたくし達の一企業のDNAをつかさどるだけでなく、日本人全体のDNAをつかさどるものではないでしょうか。
当社の基本屋号「たごさく」は、現在ひらがなで表記しておりますが、漢字で表記すると「田吾作」となります。これは田を耕す農民を、そのひょうげた姿を、親しみを込めて多少からかう意味で呼ぶ言葉です。当社の創業者があえてこうした屋号を選んだのは、お客さまに親しんでいただこうということだったのでしょうが、この言葉を良く考えると「田を吾は作る」という意味になります。謙虚な言葉のかげで、強い自負が表れているように思います。
「子孫のために美田を残さず」という言葉は、誰が言った言葉か知りませんが、政治家は国のことを考え、けっして自分の子孫のために蓄財をしてはならないという意味で、それはそのとおりだと思いますが、今は逆に、わたくし達は「子孫のために美田を残さなければならない」のではないでしょうか。古い日本の伝統を守り、わたくし達がたどってきた源をたずねて、その美しさをさらに発展させ、深いものにして、次の世代に伝えてゆく。それが二十一世紀に生きる日本人の使命ではないでしょうか。
日本人は、二千年来、田で稲を育て、そのコメを食べることを生きるための糧としてきました。「山和食品株式会社」は、赤飯・山菜おこわ・五目おこわ・栗おこわなどのおこわのばら売り、さらにおこわ中心の各種弁当、そして「わっぱめし」や「いなりずし」、「山菜ごはん」などの豊富なラインナップの、総合的米飯弁当業として社業を発展させて来ました。その意味で、何よりも「田」と密接に関わってきました。
これからも、さらにおいしい米飯弁当をつくり、販売して、日本の美しい田を、次の世代に残してゆく仕事に尽くしたいと思っています。